清水屋の歴史
ここ島田市は江戸時代に、東海道五十三次の23番目の宿場町「島田宿」として大変栄えました。島田宿の西側を大井川が流れ、徳川幕府がこの川の渡船架橋を禁じていたため、島田宿は川越しをする旅人で賑わったのです。
享保年間(1722年頃)のこと。島田宿で菓子屋を営む清水屋五代目伝左衛門という人物がいました。(享保年間ですでに五代目ですから、清水屋の創業はもっと遡ることになります。)
その五代目伝左衛門は、あるとき島田宿に長く留まっていた紀州浪人の置塩露庵(おしおろあん)と知り合い、甘酒皮の饅頭づくりの秘法を伝授されました。その饅頭はたちまち評判となり、その後、参勤交代で島田宿を訪れていた、松江藩の松平不眛(ふまい)公の目にとまりました。松平不眛公は茶人としても知られる人物です。その松平公から「一口で食べられる大きさがいい」と助言を受け、その通りにすると、島田宿清水屋の「小まん頭」は街道一と称されるようになり、旅人をはじめ多くの人々に愛されました。 そして、今も清水屋は変わらぬ味を作り続けています。